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横浜地方裁判所 昭和45年(ワ)711号 判決

原告

甲斐治

ほか一名

被告

井上武久

主文

被告は原告両名に対し各金二〇九、二一六円及びこれに対する昭和四四年一一月二六日から完済迄年五分の金員の支払いをせよ。

原告両名のその余の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の、その余を原告両名の負担とする。

この判決は、第一、第三項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

被告は原告両名に対し各金一、三六三、七〇三円及び内金一、一九六、七〇三円に対する昭和四四年一一月二六日から完済迄年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

原告両名の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告両名の負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  (事故の発生)

被告は昭和四四年一一月二五日午前七時五〇分頃、勤務先のカルピス食品工業株式会社に出勤の途上、神奈川県相模原市矢部二丁目一六番地先路上を普通乗用自動車(相模5・る・二五七)を運転して八王子方面より横浜方面に向けて時速約六〇キロメートルの速度で進行中、右路上を左から右に向つて横断中の訴外甲斐文子(昭和四一年五月一四日生、当時満三才六月余)に自車前部を衝突、転倒させ、頭部外傷、後頭部挫創等の重傷を負わせ、このため同人は同日午前八時一五分頃相模原伊藤病院において死亡した。

(二)  (責任)

本件事故現場は歩道及びグリーンベルトを有する片道二車線の広い幅員を有する横浜・八王子間の幹線道路(国道一六号線)であり、現場附近は舗装完備の、平坦で、南北に数キロメートルにわたり一直線の見通しのよい場所である。

事故発生当時は晴天・無風であつた。

事故現場西側の車道には、亡甲斐文子及び兄の訴外甲斐聖和(昭和三九年一一月四日生、当時満五才余)が通つていた富士幼稚園の園児送迎車であるマイクロバスが赤旗を掲げて停車しており、亡文子及び兄の聖和は右マイクロバスに乗るため、東側歩道より右手を挙げながら横断を開始した。

聖和が先に立ち、亡文子はその後に従つていた。

又、右マイクロバスの後尾にはその運転手が赤旗を持ち、亡文子らが無事横断することができるよう走行する車に対し停止するよう誘導・合図していた。

ところが、被告は右マイクロバス及び運転手に気をとられて自車前方の注視を欠いたため、中央線附近迄横断してきた亡文子に全く気がつかず自車を同女に衝突させるに至つたものである。

それ故に、被告は、民法第七〇九条、第七一〇条、第七一一条に則り、本件事故に因り生じた一切の損害を賠償する責任がある。

(三)  (損害)

1 亡文子の得べかりし利益の喪失による損害金二、八一三、四〇六円

亡文子は昭和四一年五月一四日生(事故当時三才六月余)の健康な女児であり、本件事故がなければ、満一八才から六〇才迄の四三年間就労して給与収入を得ることができた筈である。

そして、その給与収入は女子労働者の平均賃金相当の収入であり、それは労働大臣官房労働統計調査部の昭和四三年六月の「賃金構造基本統計調査」によれば「平均月間きまつて支給された現金給与額」は二五、八〇〇円(年間三〇九、六〇〇円)、「平均年間特別に支払われた現金給与額」は五八、七〇〇円、年間合計三六八、三〇〇円である。

この間生活費を収入の二分の一とみて、これを右金額から控除した残額一八四、一五〇円が年間の純収益である。

そして、これから年五分の割合による中間利息をホフマン式計算により控除して現在の一時払額を算出すると金二、八一三、四〇六円となる。

〔184,150×(27.3547-12.0769)=2,813,406〕

2 亡文子に対する慰藉料金一五〇万円

3 原告両名に対する慰藉料各金一二五万円

しかし、仮りに亡文子本人の前記慰藉料が否定されるのであれば、父母である原告両名の慰藉料としては各金二〇〇万円を主張する。

4 原告両名は亡文子の父母であり、その唯一の相続人であるから、亡文子の逸失利益及び慰藉料合計四、三一三、四〇六円の損害賠償請求権を法定相続分各二分の一の割合で相続した。従つて原告両名の損害合計額は各金二、一五六、七〇三円である。

(四)  (支払の充当)

原告両名は強制保険より合計金四、五八〇、八六〇円を受領し、うち病院の支払いに金一〇、八六〇円、葬式費用に金一五万円をそれぞれ充当した。

従つて、原告両名はその残額である金四、四二〇、〇〇〇円を各二分の一の割合(二、二一〇、〇〇〇円宛)で受領したことになり、これを原告両名の前記各損害額合計三、四〇六、七〇三円(前記4+3)から控除した各金一、一九六、七〇三円の損害賠償請求権があることになる。

(五)  (弁護士費用)

被告は、強制保険をもつて損害額に充当した後は、原告両名の残余の損害金支払請求に対して誠意を示さず、ために原告両名はやむなく東京弁護士会所属弁護士北村忠彦に本件訴訟を委任し、依頼の目的を達した日に、回収額を基準にして手数料及び謝金として同会弁護士報酬規定最低料率一割四分の割合による報酬を支払う旨約した。

従つて、原告両名は各一六七、〇〇〇円(百円以下切捨て)の弁護士費用と同額の損害を蒙むることとなる。

(六)  よつて、原告両名は被告に対し、右(四)と(五)の損害合計各金一、三六三、七〇三円及びうち弁譲士費用を除いた各金一、一九六、七〇三円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四四年一一月二六日から完済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

(一)  請求原因(一)(事故の発生)の事実は、認める。

(二)  請求原因(二)(責任)中、「マイクロバスが赤旗を掲げていた。」こと、「その運転手が赤旗を持ち、走行する車に対し停止するよう誘導・合図していた。」こと、及び「亡文子の本件事故現場横断の態様」に関するすべての事実、並びに被告の過失を否認し、その余の事実は認める。

(三)  請求原因(三)(損害)は、争う。

1 原告両名は、亡文子の逸失利益の算定の基礎として女子労働者の平均給与額を主張しているが、かかる幼児の場合女子労働者の一八才ないし一九才の初任給を基準として算定するのが相当である。

もし平均給与をもつて算定するのであれば、満一八才に至る迄の養育費(一ケ月一万円として一五年間では一八〇万円)が逸失利益から控除されるべきである。

2 死亡した文子の慰藉料は認められない。これは原告両名の慰藉料として考慮すれば足りることである。

3 原告両名は強制保険から受領した金四、五八〇、八六〇円のうち葬儀費用に金一五万円を充当したと主張するが、これについては被告が直接原告両名に対し金一五万円を支払つているので充当する理由がない。

三  過失相殺の主張

本件道路は交通量が多く、走行車両は相当の高速度で走行し、しかも、道路幅員が広いため、横断するには非常に危険な道路であることは原告悦子も日頃から充分認識していた。

それ故、いつもは必ず一緒に家を出て、ともに道路を横断しマイクロバスに乗車していたのに、本件事故当日は一旦この子供二人と家を出ながら亡文子のコートをとりに家に戻り、その間に子供たち(亡文子とその兄聖和)だけ先に行き、聖和が先づ横断し、マイクロバスに乗車した。

そこで亡文子もこれに続いて、駆け足で、左右の交通状況には全く注意を払わず、もつぱら停車中のマイクロバスにのみ注意を集中して横断しはじめたのである。

なお、原告両名が主張する被告の左前方不注視の過失については、本件マイクロバスの後方で、即ち亡文子の駆け出してきた位置とは反対側でその運転手が手を挙げたため、かえつてそちらに注意を奪われたためである。

このように、本件事故は主として亡文子の道路横断についての過失と同人に対する監護責任を怠つた原告両名の過失に基因するものである。

四  右に対する認否

争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因(一)(事故の発生)の事実は、当事者間に争いがない。ところで、右の事実と〔証拠略〕によつて認めることのできる本件事故発生の経過、態様は次のとおりである。

「昭和四四年一〇月頃から原告悦子は相模原市渕野辺二の一の九富士工業株式会社にパートタイマーとして勤務しその子供の亡文子及びその兄聖和は同社内の富士幼稚園に通園しており、毎日同社のマイクロバスがこれらの母子送迎のために運行されていた。

右マイクロバスは毎日午前七時五〇分頃本件事故当日停車していた附近で原告悦子、聖和、亡文子らを乗車させており、同原告らは午前七時四〇分頃一緒に自宅を出て国道一六号線の本件事故現場附近を同原告において聖和の手を引き、亡文子は背負い或いは抱いて横断して、マイクロバスを待つているのが通常であつた。

本件事故当日も同原告は亡文子、兄聖和を連れて家を出たが、寒そうだからというので子供達に玄関附近で待つているように命じ、子供達のジヤンパーをとりに再び同原告だけ家に入つた。

そのすきに子供達二人は国道一六号線に向つたのである。先づ兄聖和が横断しようとしているところを丁度同所附近に来合わせたマイクロバスの運転手生方仙平が発見し、急停車して聖和のところに行き、これを横断させマイクロバスに乗せた。

ところが、生方はその直後亡文子が同じく横断しようとして走つてくるのを目撃して危険を感じ急いでマイクロバスを降り、その後尾附近に立つて白手袋をはめた手を上げて、折柄八王子方面から横浜方面に向けて進行してきた被告車に停止の合図をしたが、結局停止することなく亡文子に衡突してしまつた。

一方、被告は最初自車の進行方向右斜め前方約四五メートルの対向車線第一走行車線上にマイクロバスを発見、更に生方が手を上げて合図したのを右斜め約一五・八メートルの地点に至つて発見したが、その瞬間同人が左方へ横断する合図をしているのかとも考えたものの、横断しそうにもないためその合図が何であるかいぶかりつつそちらに注意を奪われそのまま約一一・六メートル進行を続けたところ、約五・三メートル左前方に始めて右道路をかけ足で左右をも見ずにマイクロバスに向つて横断中の亡文子を発見したが、時すでにおそく衝突してしまつた。又父たる原告治は平素妻子の通勤、通園の経路及び状況について具体的に何も知らず、知ろうともしなかつた。」

そこで、右認定事実に徴し本件事故の原因を考えると、被告が、生方の合図を単に生方が横断するのかもしれないと考えたのみで、その合図の意味が理解しえないにせよ、何かがあると判断し一般的な未知の危険を慮ばかり減速又は徐行することなく突然合図した生方の方にのみ注意をうばわれて(この点は、本件状況下にあつては無理からぬものもある。)左前方不注視のまま漫然と進行した過失があることは必ずしも否めないが、一方亡文子も進行してくる被告車には注意を払わず道路の反対側に停車しているマイクロバスを目指して駆け足で横断したことは無茶であり(しかし、満三才六月余の幼児には責任弁識能力は固より事理弁識能力も肯定しえないから、これは同女の過失とは云えない。)、かかる幼児を、本件道路を横断する際には、常に原告悦子が背負い、或いは抱いていたことを考えると、当日わずか数分間とは云え子供達だけを自宅玄関先に放置して、待つていなさいと一言命じただけでそれ以上なんらかかる危害を事前に防止すべき有効、適切な措置を執らなかつた原告悦子の子女監護者としての過失及び子女の通園経路及び状況について妻子から具体的に平素きいて適切な注意を与えておかなかつた父原告治の過失を総じて被害者側にも大きな過失があつたものと解せざるをえない(なお、これらの点について、〔証拠略〕を綜合すると、本件事故現場は全幅員一九米の歩車道の区別ある道路の幅員一三米のアスフアルト舗装の主要車道(片道二車線でその幅員は六・五米)上であり、制限時速六〇粁一直線の視界良好な場所で、右主要車道の両端の緩行車道(非舗装、幅員六・五米)上にそれぞれ幅三・四米のグリーンベルトが設置されており、そのグリーンベルトの切間(一八米)と右主要車道とが恰かも交差点の如き形をしており、固より信号機もなくその他交通整理も行われておらず、横断歩道の標示も標識もない場所で、歩行者が横断するには非常に危険な所であり、この地点から約三〇〇乃至四〇〇米八王子よりには横断歩道橋があつた事実が認められ、この事実に徴すれば、一方原告両名においてその子女の安全を図るため少し早目に原告悦子が二人の子供を伴つて家を出るだけの配慮をすべかりしものであつたと共に、他方かかる危険な場所を横断せざるを得ないような場所にマイクロバスを駐、停車させていた訴外富士工業株式会社及び運転手生方にも重大な過失があつたというべきである。

二(一)  原本の存在並びに〔証拠略〕によれば、昭和四三年六月において、女子労働者の平均月間現金給与額は二五、八〇〇円(年間三〇九、六〇〇円)、同じく平均年間特別現金給与額は五八、七〇〇円であり、女子労働者の平均収入は年間合計三六八、三〇〇円であることが認められる。

〔証拠略〕によれば、亡文子は本件事故当時三才六ケ月(昭和四一年五月一四日生)の健康な女児であつたことが認められるから、もし本件事故がなければ七一才余まで生存することができ、その間一八才から六三才まで就労して、右の平均収入を得ることができる筈である(なお附言するに、右の平均収入のある女子労働者の平均年令は二九・〇才であり、一八才当初からこれと同程度の収入があることは不合理のようでもあるが、亡文子が就労すると予想される一八才迄には未だ一五年の期間があり、わが国の現下の社会・経済情勢からして右の程度の賃金上昇は容易に予想されるところであり、しかもその後の昇給など一切考慮しないのであるから、決して不当ではない。)。

ところで、右の期間亡文子の生活費は収入の二分の一とみるのが相当であるから、これを右収入から控除した残額一八四、一五〇円が年間の純収益である。

そこで、これから年五分の割合による中間利息をホフマン式計算により控除して、現在の一時払額を算出すると金三、〇一五、二七二円となる。

これが亡文子の逸失利益である。

184,150×(27.355 3才の就労可能年数90年の係数-10.981 3才の就労不可能年数15年の係数)=3,015,272

(二)  原告両名は本件事故によつて愛する長女を一瞬にして奪われたものであり、その悲しみと衝撃は多大なものがある。従つて、その精神的苦痛に対する慰藉料としては各金二〇〇万円が相当である。

(三)  〔証拠略〕によれば、原告両名は亡文子の病院費用として金一〇、八六〇円、葬儀費用として約四五万円を支出したことが認められるので前者は全額、後者は二五万円の範囲において本件事故によつて生じた損害と認める。

(四)  〔証拠略〕によれば原告両名は亡文子の父母であり、その唯一の相続人であることが明らかである。

そこで、原告両名は前記(一)の亡文子の逸失利益債権金三、〇一五、二七二円を各二分の一の割合の法定相続分で各金一、五〇七、六三六円宛相続したことになる。

なお、死者の慰藉料の相続性を肯定する見解には必ずしも左袒しえないから、これを認容しない。

従つて、原告両名の損害合計額は各金三、六三八、〇六六円となる。

三  ところで、本件事故の態様及び原因は前記のとおりであり、被告にも原告両名にも本件事故の一端をなす過失があつたのであるが、その過失割合は被告七、被害者側三とするのが相当である。

よつて、この割合で過失相殺をなせば原告両名の損害賠償請求額は各金二、五四六、六四六円となる。

四  原告両名が強制保険により合計金四、五八〇、八六〇円を受領していることは原告両名の自陳するところであり、また〔証拠略〕によれば被告は原告両名に対し金一五万円を葬儀費用として支払つていることが認められる。

従つて、右合計金四、七三〇、八六〇円を原告両名が各二分の一の割合で二、三六五、四三〇円宛受領したことになるから、これを前記三の原告両名の各損害賠償請求額から控除した各金一八一、二一六円が本件訴で最終的に認められる原告両名に対する損害賠償額である。

五  右四の損害賠償額及び原告両名主張の割合を基準にして原告両名がその代理人に支払うべき弁護士費用を計算すると各二八、〇〇〇円(百円以下切捨て)となる。これも本件交通事故により生じた原告両名の損害と云うことができる。

六  よつて、原告両名の本件請求は、被告に対し各金二〇九、二一六円及びこれに対する本件事故の日の翌日であること明らかな昭和四四年一一月二六日から完済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項、第四項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 若尾元 石藤太郎 西理)

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